前号の「法則」で、中年おかんの、おもいこみは
おそろしい結末を生む」と書いたので、はやく「おそろしい
結末」を告白しなければと、律儀なおかんは焦るばかりで…
いまから10年前のことであります…
結婚生活も、新婚のアマーイひとときが過ぎ去ると、あとは
地味で、平凡で、同じことの繰り返しの日々がやってくる、
と、むかし結婚式でお仲人さんがおっしゃったように、
おかん業も、しじゅう(40)を過ぎて、子育てが終わる頃に
なると、そろそろ子供と亭主ばかりにかまけているのが、
何やらむなしく、アホらしい気分になってくるんで…
いや、アホらしといっては、語弊がある。
3回も出産を経験し、成長の節目、節目に、七五三や入学式や、
卒業式や運動会やPTA活動や、
それに入試や、合格発表やナンヤカヤあってそれはそれで
親として大きな喜びを味わわせてもらい…
楽しい日々が続いたものなのであった。
その平凡な日々の中にも、いろどりがあって、
趣味や、旅行や、買物や、芸術鑑賞や、
たまにはギャンブルやら、異性との交際やら、ナンヤカヤが
あって、平凡な結婚生活にヨロコビを見つけてゆく、
それが凡人の人生というものさ
…ということも、よく分かっておる!
でもさ。
しじゅうを過ぎると、オンナとして容色が衰えてくるのは
当然のこと、フェロモンというものの分泌が止まるのか、
ごく僅かになってしまうのか、街を歩いていても、
異性からの「お茶飲みませんか」攻撃がゼンゼンなくなって、
なんとなく「さびしゅう」なってまいります…のさ。
(おかん厚かましいぞ、といわないで。一般論です。)
子供や夫の世話をしたり、家事に明け暮れする毎日が、
ふとむなしゅうなって、母や妻ではない、オンナとしての顔で
生きてみたいと、(そんなこと思うたこともナイというおかた、
メールをください。)
たまには、非日常的な、胸をときめかす「出来事」に、
ぶちあたらないものかと、
映画を観たり、「マディソン群の橋」や「失楽園」を読んで
みたりするが、しょせんはヒトさまのおはなし。
あるいは
突然迷いこんできた、何年ぶりかの「同窓会」へのお誘いに乗って
メいっぱいお洒落をして、出かけてみたりするが、そこにいる
男どもは、なまじ昔のいたずらざかりの少年時代の顔を知って
いるお人ばかりだから、「胸ときめかす」ところまでゆきつかない。
それでもなかには、初恋の人と再会してうまくやる幸せなお友達
がいらっしゃって…そうだ、
おかんはいつも「そのあと」の処理の相談係のお役目ばっかり
廻ってきて、それこそアホらし勝手にせい、なのだ。
さよう、人妻の恋(不倫というコトバが嫌いです)というものは
「夫に報告してはならない」という、最低のキマリがあるもの
だから「経過報告が大好きな」おかんにはとても続けてゆく
自信がない。
(過去、元気ざかりの30過ぎのときは、秘密も保てた、フフ。)
そんな(欲求不満の)おかんに、あるときカミサマはとても
素晴らしいプレゼントを贈って下さったのである。
バレてもちっとも困らない「恋」と、(それもさびしいが)
夢中になれる「非日常的世界」というものを…
…ここで、あぁ、やっと本題の「ステージ」へ飛べるんである。
おかんはしじゅうを過ぎて…小さい時から好きだった歌の
勉強を、シャンソンやカンツォーネを先生について
習いはじめて、現在で10余年になる。
最初は、声楽の先生に、発声の仕方や世界の名曲などを習い、
それからシャンソンのカルチャー教室を経て、
「あなたの声には哀愁がただよう」というプロ歌手の
お世辞をマに受けて、その門下生となった。
ご存知のお方も多いと思うが、シャンソンはフランスの大衆歌で、
「3分間のドラマ」と言われる歌だ。
人生の機微をうたうこと…
「生きるよろこび、哀しみ、男女や肉親への愛、社会体制批判や、
風刺(以下略)などなど」について表現すること。
とてもふかーい歌なんよ、と先生は教えて下さった。
(「愛の賛歌」と「サン・トワ・マミ」だけではないんよ。)
「だから若い人では、味のある渋いシャンソンは歌えないんよ。」と
いうお言葉をマに受けて、おかんはしじゅうを幾つか過ぎたある日、
プロ歌手への登竜門であるオーディションに挑戦したんよ。
審査員は、レコード会社の人、新聞の芸能部記者、舞台演出家、
プロ歌手などであった。
歌の出来はもちろんのこと、マイクの持ち方、表情、
ステージワーク、衣装などいろんな角度から審査される。
総合的には、「歌手として人を惹きつけるもの」を持っているか
どうかで決まる。
そしてやっぱり…おかんは落ちた。
(…衣装が派手すぎたのかも知れない。)
あれから8年。その間発表会や、自主コンサートは何回もやったが、
プロへの夢はあきらめていた。
ところへ……
あの…わがいとしの「尾崎 豊」の強烈な歌とステージ
(ライブビデオ)に出会ったわけ。
前号のエッセイ7号をお読み下さったおかたは、半分くらい
理解して下さるとおもうが、中年おかんの思い込み(恋?)は、
尋常ではなく、
尾崎の残した71曲の歌を、毎日毎日繰り返し聴き、ライブビデオを
観つづけ、追っかけコンサートをしまくり(本人がいないから、
フイルムだけ)、作品論やら自伝(他人が書いた)やら、ファン
による追悼文集やら、写真集やら、スキャンダル本まで読み漁り、
いやあ、あんなに胸ときめかしたことは、若き頃おとうさんとの
恋と、同じかそれ以上、でありましたワ。
おとうさんは年を取ったが、尾崎は永遠に若者だから、便利。
(おかんアホちゃうかァー、と家族全員で合唱しておった。
でも10代の頃の写真集の中の尾崎は、キムタクでも及ばない程の
美少年なんよ!その目は吸い込まれそうなほど妖しいんよ!
声になんともいえない色気があるんよ!
その尾崎が、ステージの上から、いつも「夢を忘れないで!」
と絶叫し、囁いてくれたから、ごじゅう(50)過ぎのおかんは、
忘れかけていた「夢」をまた思い出し、必死になって勉強しなおし、
オーディションに挑戦し、合格して…毎回ステージの上で、
「非日常的な世界」で
夢を見させて貰っているわけ。そういうわけ。
ステージの上で、ライトを浴びて、
「私を棄てて行かないで、行かないで」とか
「ああ、メランコリックな夜よ」とか
「大統領閣下、僕は脱走しちまうぞ!」とか
「人生は儚く美しい」とか
「冬のつぎは春が来る」とか
「あなた、若いころはお互いに遊んだけれどこれからは仲良くしましょうね」
とかそんなシャンソンをいい気持ちになって歌っていると、
客席でわがおとうさんは、いつも…
「おそろしいことだ!」とつぶやいておるのであります。
ジャンジャン。